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東京地方裁判所 平成6年(行ク)38号 決定 1994年7月27日

申立人 福迫雷太

相手方 法務大臣

代理人 古江頼隆 山田知司 ほか二名

主文

一  本件申立てを却下する。

二  申立費用は申立人の負担とする。

理由

第一申立ての趣旨等

本件申立ての趣旨は、「相手方が平成六年七月一九日付けで東京高等検察庁検事長に対してした、申立人をアメリカ合衆国政府に引き渡すべき旨の命令の執行は、本案判決の確定に至るまで停止する」との裁判を求めるというのであり、これに対する相手方の意見は、「本件申立てを却下する」との裁判を求めるというものである。

第二本件処分に至る経緯

一件記録によれば、次の事実が一応認められる。

一  アメリカ合衆国(以下「米国」という。)ハワイ州第一巡回裁判所大陪審は、平成六年三月三一日、(一) 申立人は、平成六年二月二三日ころ、米国ハワイ州ホノルル郡市において、藤田小女姫こと藤田東亜子に対し、殺意をもって拳銃を発射し、その胸部に銃弾を命中させてその場で同人を殺害し、(二) 申立人は、同日ころ、同郡市において、藤田吾郎に対し、殺意をもって拳銃を発射し、その胸部に銃弾を命中させてその場で同人を殺害したとの犯罪事実(以下「本件引渡犯罪」という。)により申立人を起訴し、同裁判所裁判官は申立人に対する逮捕状を発付した。

二  日本国は、平成六年四月一日、米国から、日本国とアメリカ合衆国との間の犯罪人引渡しに関する条約(以下「条約」という。)九条一項に基づいて、申立人を逃亡犯罪人として仮拘禁することの要請を受け、同月三日、逃亡犯罪人引渡法(以下「法」という。)二五条一項による仮拘禁状によって申立人を仮拘禁した。

米国は、同年五月九日、日本国に対し、条約八条に基づいて申立人の引渡しの請求をした。

三  法務大臣は、法四条一項各号の場合に該当しないものと判断し、東京高等検察庁検事長に対し東京高等裁判所に審査の請求を行うことを命じ、同検察庁検察官は、同年五月一六日、法八条に基づき同裁判所に対し審査を請求した。

東京高等裁判所第五特別部は、同年七月一一日、右引渡審査請求事件について、「本件は、逃亡犯罪人を引き渡すことができる場合に該当する」との決定をし、同日、申立人及び補佐する弁護士(以下「補佐人」という。)に対しその旨を通知した。

四  相手方は、平成六年七月一九日、法一四条一項前段に基づき、東京高等検察庁検事長に対し、申立人を米国に引き渡すべき旨の命令(以下「本件命令」という。)をし、同日、申立人に対しその旨を通知した。

申立人は、同月二〇日、当裁判所に対し、本件命令の取消しを求める本案訴訟を提起した。

第三当事者の主張

本件命令の適否に関する申立人及び相手方の主張は、それぞれ別紙のとおりである。

第四当裁判所の判断

一  回復困難な損害を避けるための緊急の必要性の有無について

法の定めるところによれば、本件命令は、命令の日の翌日から起算して三〇日目の日を期限として執行されることが予定されており(法一五条)、請求国たる米国の官憲に申立人を引き渡すことによってその執行が終了する。したがって、本件命令が執行され、申立人が米国の官憲に引き渡された場合には、本件命令の取消しを求める本案訴訟はその訴えの利益を失うに至ることが明らかであり、しかも、事柄の性質上、申立人が本件命令によって被る損害を金銭賠償という方法で回復することは困難なものといわざるをえない。

したがって、本件においては、処分の執行によって生ずる回復困難な損害を避けるための緊急の必要があるものと認められる。

二  本案について理由がないとみえるときに当たるか否かについて

1  引渡命令の違法事由について

(一) 法の定める逃亡犯罪人引渡しの手続は一種の行政手続であるが、法は、逃亡犯罪人を引き渡すことができる場合に該当するかどうか(以下「引渡制限事由の存否」ともいう。)については、行政庁にその判断を委ねることなく、東京高等裁判所の司法審査を経ることを要求している。すなわち、法務大臣は、逃亡犯罪人の引渡命令を発するには、まず東京高等検察庁検事長に対して、引渡制限事由の存否について東京高等裁判所に審査の請求をなすべき旨を命じなければならず(法四条)、その審査の請求を受けた東京高等裁判所が逃亡犯罪人を引き渡すことができる場合に該当するとの決定(法一〇条一項三号)をした場合に初めて、逃亡犯罪人を引き渡すことが相当であるかどうかを判断したうえで、その引渡しを命ずるものとされている(法一四条一項)。

ところで、引渡制限事由の存否の審査は、逃亡犯罪人の引渡しという急速を要する手続であることから、審査の請求を受けた東京高等裁判所は、すみやかに、審査を開始し、決定をするものとされ、逃亡犯罪人が拘禁許可状により拘束されているときは、遅くとも、拘束を受けた日から二か月以内に決定するものとされており(法九条)、右決定に対しては、不服申立てを認める規定が置かれておらず、不服申立てをすることは許されていない。そして、法及び逃亡犯罪人引渡法による審査等の手続に関する規則(以下「規則」という。)によれば、逃亡犯罪人は、引渡制限事由の存否の審査に関し、弁護士の補佐を受けることができるものとされているのをはじめ(法九条二項)、補佐人は、拘禁されている逃亡犯罪人と接見等をすることができるほか(規則一六条)、逃亡犯罪人及び補佐人は、意見を述べる機会を保障され(法九条三項)、また、東京高等裁判所は、逃亡犯罪人又は補佐人が意見を口頭で述べたい旨を申し出たとき、証人又は鑑定人を尋問するとき、その他審査をするについて必要があるときには、審問期日を開くこととされており(規則一九条一項)、審問期日の手続は公開の法廷で行われ、逃亡犯罪人及び補佐人は、右手続に立ち会い、裁判長の許可を受けて証人等を尋問することができる(規則二〇条、二二条一項、二項)など、刑事裁判手続に類似した慎重な手続によって、引渡制限事由の存否についての司法判断を行うこととされている。

(二) 右のような手続構造からすると、法は、逃亡犯罪人の引渡手続のうち、引渡制限事由の存否については、行政庁の判断に委ねることなく、東京高等裁判所における司法審査を経由させることとし、同裁判所の判断をもって最終の判断とすることとした趣旨と解されるのであって、引渡制限事由の存否に関する限り、その法的な判断は専ら前記審査手続においてされる東京高等裁判所の判断に委ねられているものと解するのが相当である。したがって、法務大臣も、引渡制限事由の存否については東京高等裁判所の右判断に拘束され、東京高等裁判所において、逃亡犯罪人を引き渡すことができる場合に該当するとの決定がされたときは、その法的判断を前提としたうえで、さらに行政的な観点から当該引渡しを行うことが相当であるかどうかを判断して(法一四条一項前段)、引渡命令を発するか否かを決することになるというべきである。

(三) このように、法務大臣は、引渡命令を発するにあたって、引渡制限事由の存否に関する東京高等裁判所の判断に拘束され、これと異なる判断をなし得る余地がないのであるから、右引渡制限事由の存否という法的判断の当否は、引渡命令の違法事由となるものではないというべきであり、結局、引渡命令が実体法上違法とされるのは、法務大臣が法一四条一項前段にいう「逃亡犯罪人を引き渡すことが相当である」と認めた判断に何らかの違法が存する場合に限られるものといえる。

2  そこで、右のような観点に立って、以下、本件申立てが「本案について理由がないとみえるとき」に当たるか否かについて検討する。

(一) 引渡しの相当性の判断について

逃亡犯罪人の引渡しは、国際協力により犯罪に対応し刑事司法の実効性を確保するため、裁判権を有する国へ犯罪人を移送するために行われるものであるが、現在の国際情勢の下においては、引渡しに応じるかどうかは、請求国に対する外交的配慮、国内の法秩序維持の必要、当該逃亡犯罪人の人権保護その他国内及び国外の諸般の事情を斟酌して決定せざるをえないところであり、引き渡すことの相当・不相当を決定するための判断基準について、法が特段の定めを置いていないのも、法務大臣が右のような諸事情を総合勘案しその広汎な裁量により引渡命令の可否を決定することができることとした趣旨と解される。もっとも、この点に関する法務大臣の判断も、広汎な裁量に委ねられているとはいえ、それが法や国際法規の趣旨に照らして著しく妥当性・合理性を欠くことが明らかであるような場合には、裁量権の範囲を逸脱し又は濫用したものとして違法となる場合もあることはいうまでもない。

本件においては、本件命令は引渡条約の締約国である米国からの引渡請求を受けて行われたものであること、米国は整備された刑事司法制度を有する法治国家であること、本件引渡犯罪は拳銃を発射して二名を殺害したという米国ハワイ州の治安に重大な影響を及ぼす犯罪であること、本件引渡犯罪は同州内で行われ、証拠も大部分は米国にあると窺われることなどの事情からすれば、申立人の引渡しを相当であるとした相手方の判断が法や国際法規の趣旨に照らして著しく妥当性・合理性を欠くことが明らかであるとは到底いえないというべきである。

(二)(1) 申立人は、次のアないしウの理由により、申立人を米国へ引き渡すこととした相手方の判断が法一四条一項前段にいう相当性を欠く旨主張している。

ア 申立人が本件引渡犯罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があるとの点について証拠が不十分である。

イ 申立人が日本国民であり日本で裁判を受けることを希望している。

ウ 米国の拘禁施設は施設内の秩序の維持が不十分であるため、申立人が施設収容後に同房者から性的暴行等を受けるおそれが強い。したがって、そのような国及び地域に申立人を引き渡すものとした本件命令は、「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」ことを保障した「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下「人権B規約」という。)七条に違反し許されない。

(2) そこで、検討するに、右アの主張は、要するに、申立人について引き渡すことができない場合(法二条六号)に該当するのに、これを引き渡すことができるとして本件命令を発したことの違法をいうに帰するものであって、既に説示したとおり、このような引渡制限事由の存否の点をとらえて本件命令の違法を主張することはできず、右主張は、本案訴訟で取り上げることのできないものであり、理由がないというべきである。

次に、右イの主張について検討するに、本件引渡犯罪は犯罪地である米国ハワイ州の治安に重大な影響を及ぼすものであることは明らかであるから、同州の刑事司法手続の実効性を確保する必要性を無視することはできないところであり、本件においては、自国民保護の観点のみに傾倒して引渡しの相当・不相当を決することは相当でないというべきである。したがって、申立人が日本国民であって日本での裁判を希望しているとしても、そのことは、申立人を米国に引き渡すこととした相手方の判断の相当性を何ら左右するものではないというべきであり、この点に関する申立人の主張も理由がない。

さらに、右ウの主張についてみるに、相手方が引渡しの相当・不相当を判断する際には、逃亡犯罪人が置かれることになる請求国の刑事司法制度の一般的な運営状況も考慮に入れることができることはいうまでもないし、また、人権B規約七条の趣旨からすると、当該逃亡犯罪人に非人道的な取扱い又は刑罰を強いることが明らかと認められる請求国への引渡しについては、慎重でなければならないといえよう。

しかしながら、日米間の条約は互いの司法制度の信頼のうえに締結されたものであり、米国が整備された刑事司法制度を有する法治国家であることは公知のところであって、米国の拘禁施設に収容されると非人道的な取扱いが強いられると認めるべき事情もないし、また、現在、米国の拘禁施設に収容された日本人が一般的に同房者の暴行・脅迫等にさらされる可能性が高いという特段の社会的・政治的状況があるとも窺われず、本件において、申立人を米国に引き渡すことが、人権B規約七条に違反し、あるいは法や国際法規に照らして著しく妥当性・合理性を欠くということはできず、申立人の右ウの主張も理由がない。

3  次に、申立人は、法の定める拘禁手続及び審査手続は憲法三一条、三四条、三七条二項、人権B規約に違反しているとして、かかる違憲の手続を前提としてされた本件命令もまた違憲の行政処分である旨主張するので、以下、順次検討することとする。

(一) まず、申立人は、逃亡犯罪人に対する仮拘禁・拘禁の手続において、不服申立て、理由開示及び保釈の制度が認められていないことは、憲法三一条及び三四条に違反しており、「逮捕又は抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定すること及びその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する」とする人権B規約九条四項にも違反すると主張する。

(二) 憲法三一条、三四条は、直接には刑事手続に関するものであるが、逃亡犯罪人引渡手続のような行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、その保障の趣旨が一切及ばないとすることは相当でない。しかしながら、それらの規定の保障の趣旨が及ぶと解すべき場合であっても、逃亡犯罪人引渡手続は、刑事手続とはその目的や性質においておのずから差異があり、拘禁状(仮拘禁状を含む。)による身体の拘束や請求国への引渡しという不利益な処分を受ける逃亡犯罪人にどの程度の防御の手段・機会を与えるかは、逃亡犯罪人が受ける不利益の内容・程度、引渡しにより達成しようとする公益の内容・程度、逃亡犯罪人引渡手続の緊急性等を総合較量して決定されるべきものであり、すべてにおいて刑事手続と同様の防御の手段・機会を与えることを必要とするものでないことはいうまでもない。

(三) ところで、逃亡犯罪人の身柄を拘束する場合には、東京高等裁判所裁判官が身柄拘束の合法性の審査をしたうえで予め発付する拘禁許可状又は仮拘禁許可状が必要とされている(法五条、二五条)。したがって、その身柄の拘束は裁判所の判断によって行われることが明らかであるから、人権B規約九条四項に違反するところはないというべきである。

確かに、逃亡犯罪人の身柄の拘束について、不服申立て、理由開示及び保釈の制度が認められていないことは、申立人主張のとおりである。しかし、逃亡犯罪人の引渡手続は、請求国の刑事手続の執行のためにその要請を受けて開始されるもので、その性質上、特に迅速性が要求される手続であり、拘禁(仮拘禁を含む。)後すみやかに審査が開始され、決定されることが予定されていることからすると、その拘禁(仮拘禁を含む。)が東京高等裁判所裁判官による合法性の審査を経たうえで行われている以上、法が、これに対する不服申立てや理由開示の制度を認めることなく審査手続等を進めるものとしていることには相当の合理的な根拠があるといえるし、また、逃亡犯罪人の引渡手続は、逃亡犯罪人が外国で犯罪を行ったとの嫌疑があり、かつ、請求国の刑事手続の執行から免れている状態にあることを前提として行われるものであり、逃亡犯罪人の身柄の拘束もその引渡しを確実に行うためにとられる措置であることに鑑みれば、裁量による拘禁停止の制度(法二二条)のほかに、刑事手続におけるいわゆる権利保釈のような制度が設けられていないことも事柄の性質上やむを得ないということができる。

したがって、法が逃亡犯罪人の身柄の拘束について不服申立て、理由開示及び保釈の制度を設けていないからといって、その拘禁手続が憲法三一条、三四条の趣旨に違反するということはできず、申立人のこの点に関する前記主張は失当である。

(四) 次に、申立人は、東京高等裁判所における審査の手続は、被審査人からの証人尋問請求権が保障されておらず、提出される証拠資料に伝聞証拠が禁止されていないという点において憲法三七条二項に違反していると主張する。しかし、東京高等裁判所が行う審査は、当該引渡犯罪を行ったことを疑うに足りる相当な理由がない場合に該当するかどうか(法二条六号)等の引渡制限事由の存否を判断するためのものに過ぎず、当該逃亡犯罪人の有罪・無罪を決定するための手続でないことは明らかであるから、わが国の刑事手続における被告人の権利について定めた憲法三七条二項の対象とするものでないことはいうまでもない。しかも、前記二1(一)で説示したとおり、右審査手続においては、逃亡犯罪人及び補佐人は、意見を述べる機会が与えられ、裁判長の許可を受けて証人等を尋問することもできるとされているのであって、これ以上に、申立人が主張するような証人尋問請求権が保障されておらず、伝聞証拠の禁止がされていないからといって、その審査手続が憲法三七条二項の趣旨に反するものではない。したがって、申立人の右主張も失当というほかない。

4  なお、申立人は、日本国民である逃亡犯罪人を米国に引き渡すことができる旨定めた条約は、日本国民の裁判を受ける権利を奪うもので憲法三二条に違反する旨主張する。

右主張の趣旨は必ずしも定かではないが、いずれにせよ、憲法三二条は、刑事事件についていえば、裁判所における裁判を受けなければ、国家から刑罰を科せられないことを保障する趣旨であり、日本国民が日本国における刑事裁判を請求する権利や外国の刑事裁判を拒否する権利を有するとの趣旨を含むものでないことは明らかであるから、外国との間で裁判権が競合する場合に、条約で日本国が自国民を米国に引き渡すことができる旨定めても、憲法三二条に違反しないことは明白であって、申立人の右主張も失当である。

第五結論

以上の次第で、本件命令の違憲、違法をいう申立人の主張はいずれも理由がないといわざるを得ず、本件申立ては、「本案について理由がないとみえるとき」に当たるというべきである。

よって、本件申立ては理由がないから、行政事件訴訟法二五条三項によりこれを却下することとし、申立費用の負担につき、同法七条及び民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 佐藤久夫 橋詰均 武田美和子)

(別紙)

申立人の主張

(引渡命令の違法性)

本件引渡命令は左記理由により違憲かつ違法である。

一、逃亡犯罪人引渡法は憲法及び人権B規約に違反する。

1、逃亡犯罪人引渡審査手続の問題点

引渡法に基づく手続の性質は、行政手続であると考えられている。

しかし、引渡できるか否かの対象となる被審査人は、仮拘禁又は拘禁という形式で身体を拘束される(引渡法五~七条、二五条、二六条)。

しかも、審査手続の審問期日における証拠調べには、刑事訴訟法の関係条項が準用され(引渡法九条)、審問期日は、原則として公開の法廷で実施される(規則二〇条四項)。

このように見てくると、この手続は刑事訴訟手続に極めて類似しており、被審査人は刑事訴訟手続における被疑者ないし被告人と類似した立場に置かれている。

ところが、刑事訴訟法が、被疑者・被告人の人権を守るために定めているさまざまな制度が、逃亡犯罪人引渡手続にはほとんど採り入れられていない。

以下、これを具体的に指摘する。

(一) 拘禁手続に関連して

逃亡犯罪人引渡手続には、高等裁判所裁判官の許可状による仮拘禁、拘禁の形式で、逃亡犯罪人の身体を拘束することができることとなっている(引渡法五条、二三条)。

しかし、仮拘禁許可、拘禁許可に対する不服申立の方法は、一切定められていない。この点は、刑事訴訟法が、勾留について、準抗告や勾留取消請求を認めていることと著しく異なっている。

さらに、問題なのは、引渡法における拘禁、仮拘禁については、その理由の開示を求める手続がないということである。

憲法三四条は「何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない」と規定している。

この規定を受けて、刑事訴訟法は第八一条ないし八六条に勾留理由開示の手続を定めている。ところが、引渡法の拘禁、仮拘禁については、このような手続が定められていない。

本件により仮拘禁された申立人について、補佐人は平成六年四月六日東京高等裁判所裁判官に対し、拘禁理由開示の請求をしたが、同裁判官は同年同月八日、その請求権がないとして、職権の発動はしない旨回答した。

拘禁ないし仮拘禁について、その理由の開示を求める手続がないことは、明らかに憲法の前記条項に違反しているというべきである。

さらに、引渡法による拘禁、仮拘禁には、保釈ないしこれに類似する制度がない。拘禁取消の執行停止の制度はあるが(引渡法二二条、三〇条)、この制度は、被審査人や補佐人に拘禁取消や執行停止の申立権はないとされている。そして、拘禁を取り消し、又は執行停止をするか否かは、すべて検察官の裁量にかかっているのである。

これでは被審査人の人権保障の見地からして、大いに問題があり、憲法三一条の趣旨に反するといわざるを得ない。

さらに、日本も批准しており、その規定が国内法としての効力を有する市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「人権B規約」という)九条四項は次のように定めている。

「逮捕又は抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定すること及びその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する」

ところが、引渡法による拘禁、仮拘禁については、前述のように、裁判官の拘禁許可状、仮拘禁許可状に基づいて被審査人の身体を拘束するが、その後の身柄の処置は完全に検察官の裁量に委ねられ、裁判所ないし裁判官の審査は引渡法上一切予定されていない。

これは明らかに人権B規約の右規定に違反しているものである。

(二) 審査手続について

審査をするについて必要があるときは、裁判所が証人尋問、鑑定、通訳、翻訳を命ずることができることになっている(引渡法九条四項)。しかし、右規定は、被審査人からの証人尋問請求を権利としては保障していない。

この点も、被告人の証人尋問権を保障した憲法三七条二項の趣旨に適合しているとはいい難い。

さらに問題なのは、審査に提出される証拠について、何らの制限のないことである。刑事訴訟手続においては、いわゆる伝聞証拠の禁止の原則を採用し、この原則に基づきさまざまな証拠制限の規定がある。この規定は、信用性のない証拠を排除し、不確実な証拠で有罪とされることのないよう、被告人の権利を擁護しているものである。

ところが、引渡審査手続については、右のような証拠制限がなく、信用性について何らの保障のない証拠も自由に提出することができる。

このように、証拠制限が全くないということは、被審査人の人権擁護の観点からすると、問題があるといわざるを得ない。審査手続においては、審査人の有罪・無罪を決定するものではないとはいいながら、「引渡ができる場合に当る」と判断されると、被審査人が引渡請求国へ引き渡される蓋然性が極めて高いのである。

被審査人について、引渡犯罪の被告人として外国で裁判を受けるために、その国に引き渡されることは、精神的には有罪判決にも等しい苦痛であるといわざるを得ない。にもかかわらず、刑事訴訟法におけるような保障がないのは、憲法三七条二項の趣旨に反するものである。

二、引渡条約の違憲性

本件について、東京高等裁判所は、引渡法と条約を適用して前記決定をなし、この決定を受けて、被申立人は申立人をアメリカ合衆国に引き渡すため、本件引渡命令を発布したものである。

しかしながら、憲法三二条の保障している裁判を受ける権利は、日本において公正な裁判を受けることを国民に保障しているというべきところ、被審査人が請求国に引き渡されるときは、国籍国である日本国において裁判を受ける権利を失われる結果となるのである。

引渡法二条第九号に、「逃亡犯罪人が日本国民であるとき」は、「逃亡犯罪人を引渡してはならない」と規定しているのは、まさに、日本国民の裁判を受ける権利の保障の観点から定められたものであると考えられる。

ところが、引渡法二条但し書は、「第三号、第八号又は第九号に該当する場合において、引渡条約に別段の定めがあるときは、この限りではない」と規定している。

そして、引渡条約二条は一定の場合に、日本国民であっても、アメリカ合衆国の要求に応じて引き渡すことができる旨定めている。

しかし、条約といえども憲法に反する内容を定めた部分はその限りにおいて無効というべきである。

そうすると、日米引渡条約の中の前記条項は、日本国民から裁判を受ける権利を奪うものであって、憲法三二条に違反して無効というべきである。

本件引渡命令は、引渡法と条約に基づき発せられたものであるから、引渡法及び条約が憲法違反である以上、本件引渡命令もまた憲法に違反する行政処分である。

三、人権B規約七条違反

申立人が引渡命令にしたがってアメリカ合衆国に引き渡されると、申立人はハワイ州の拘置施設に収容されることとなる。

ところが、アメリカ合衆国の拘禁施設においては、施設内の秩序が十分に維持されているとは言い難い。被収容者が他の収容者に暴行、男性による強姦、脅迫等を加えられるおそれがあるといわれており、このことはアメリカ合衆国においては公知の事実といっても過言ではない。

申立人はかつて、カリフォルニア州ロサンゼルスの拘禁施設に短期間収容されたことがあるが、その際、申立人は同房の男性に「強姦」されそうになったことがある。その際は、幸いに看守に発見され、ことなきを得たが、常に看守に発見されるとは限らないのである。

申立人が本件引渡命令により引き渡されるときは、収容中に強姦などの暴行を加えられるおそれのある施設に収容されることにならざるを得ないこととなるが、このことは、人権B規約七条に違反するものというべきである。

人権B規約七条は、「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」と規定している。

人権B規約を批准している日本国は当然右規定を遵守すべき義務を負っているが、このことは、国家機関が何人に対しても右のような「取扱い」をすることが許されないばかりではなく、日本国の領域にある者を右のような取り扱いを受けるおそれのある国又は地域に引き渡すことをも禁じているものである。

そうすると、申立人をアメリカ合衆国に引き渡すことは、申立人が右のような不当な「取扱い」を受けるおそれのある国へ引き渡すことであるから、結局本件引渡命令は、人権B規約七条に違反しているものである。

四、相当性の欠如

引渡法一四条は、同法一〇条一項三号による東京高等裁判所の決定があった場合において、「逃亡犯罪人を引き渡すことが相当であると認めるときは」引渡命令を発することができ、「相当でないと認めるときは」逃亡犯罪人を釈放しなければならない旨定めている。

言い換えれば、東京高等裁判所が、「引渡しができる場合に該当する」旨決定しても、法務大臣としては、引き渡すことが相当であるか否かを判断する権利と義務を有するのである。

本件の場合、申立人は日本国籍を有するものであること、前項において述べたように、引渡後の拘禁施設で不当な取り扱いを受けるおそれがあること、さらに、東京高等裁判所が引渡犯罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があると認定した証拠は必ずしも十分なものとはいい難い。

そして申立人は、容疑があるのであれば、日本の裁判所で裁判を受けることを強く希望しているのである。

以上のような諸事情を考慮すると、本件の場合、申立人をアメリカ合衆国に引き渡すことについては、相当性がないというべきである。

(執行を停止する緊急の必要性)

申立人が、アメリカ合衆国に引き渡されてしまうと、申立人と代理人との間の連絡も極めて限定されてしまい、本案訴訟の遂行が極めて困難にならざるを得ない。

さらに、根本的には、申立人がアメリカ合衆国に引き渡されてしまうと、本件引渡命令取消を求めている本案訴訟について、訴の利益がなくなり、そのままでは訴が却下されること必至である。そうなると、申立人としては、本件引渡命令の適否について裁判所の判断を得る機会を奪われてしまう結果とならざるを得ない。

加えて、原告がアメリカ合衆国に引き渡されて後、ハワイの拘禁施設に収容されると、所内において前述のような暴行、脅迫を受けるおそれに現実にさらされてしまい、かつそのことについて救済手段を講じることは、実際問題として極めて困難である。

以上挙げたような諸事情よりすれば、原告について本件引渡命令を、本案訴訟の判決確定に至るまでその執行を停止しなければならない緊急の必要性があるというべきである。

以上

(別紙)

相手方の主張

(本案について理由がないとみえるときに該当すること)

1 申立人の主張

申立人は、執行停止申立書及び申立理由補充書の中で、本案について理由があるとする根拠として、

<1> 本件審査請求の過程で提出された資料では、申立人が引渡犯罪に係る行為を行ったことを疑うに足りる相当な理由がないこと

<2> 逃亡犯罪人引渡法が憲法及び市民的及び政治的権利に関する国際条約(以下「人権B規約」という。)に違反し、日本国とアメリカ合衆国との間の犯罪人引渡しに関する条約が憲法に違反すること

<3> 法務大臣が申立人をアメリカ合衆国に引き渡すことを相当と認めた判断に違法があること

の三点を挙げている。

しかし、右の各主張は、以下に述べるとおり明らかに失当である。

2 申立人が引渡犯罪に係る行為を行ったことを疑うに足りる相当な理由がないとの主張について

逃亡犯罪人の引渡しは、本来行政手続であるが、この手続は、人身の自由の拘束と公権力による身柄の引渡しという対象者の人権に深くかかわる問題を含むとともに、外国の要請により、その刑事手続実施のために行うもので、急速を要するものであるから、通常の行政手続とは異なり、当初から、司法機関により、公開の法廷における審問、弁護士の補佐等、刑事裁判手続に類似する慎重な手続によって引渡しをすることができる場合に該当するかどうかの判断をすることとし、かつ、これら専ら東京高等裁判所に行わせ、この点に関するその判断を最終の判断とすることとしているものである(東京高等裁判所の決定に対して特別抗告が許されないことにつき最高裁平成二年四月二四日第一小法廷決定・刑集四四巻三号三〇一ページ)。

このような制度の趣旨からすると、この逃亡犯罪人の引渡手続においては、逃亡犯罪人引渡法二条各号に掲げられた引渡制限事由の存否に関しては、専ら東京高等裁判所の判断に委ねられており、法務大臣が引渡命令を発するに当たっても、引渡制限事由の存否についてはこの東京高等裁判所の判断に拘束され、同裁判所において引渡しをすることができる場合に該当する旨の決定がなされた場合には、法務大臣はその判断を前提として、当該引渡しを行うことが相当であると認められるか否かを専ら行政的な観点から判断すべきものである。したがって、同条各号に掲げる制限事由に該当せず、引渡しをすることができる場合に該当する旨の東京高等裁判所の決定に従った法務大臣の引渡命令については、同条各号の制限事由の存否がその違法事由を構成し得るものではないので、この点は本案訴訟の審理対象とはならない(東京地裁平成二年四月二五日決定・行裁例集四一巻四号九〇六ページ、東京高裁同月二七日決定・行裁例集四一巻四号九一五ページ)。

よって、申立人が引渡犯罪に係る行為を行ったことを疑うに足りる相当な理由がないとする申立人の主張は、主張自体失当である。

3 憲法違反等の主張について

申立人は、逃亡犯罪人引渡法制上の諸手続について違憲あるいは人権B規約違反である旨の主張をるる述べており、その大半は、拘禁許可に対する不服申立方法がないこと、拘禁の理由開示制度及び保釈制度がないこと等逃亡犯罪人の身柄拘束に関する被拘束者保護の手続に欠けることを理由とするものと思料されるところ、そもそも逃亡犯罪人が拘禁されていることは引渡命令の要件ではなく(逃亡犯罪人引渡法五条一項ただし書参照)、したがって、逃亡犯罪人の引渡命令を発するか否かに関する法務大臣の判断は、逃亡犯罪人の身柄拘束の有無と何ら関わりがないから、本件命令が出される前の身柄の拘束に係る事柄は引渡命令の違法事由となる余地はない。したがって、申立人のこれらの主張はそれ自体失当であるが、なお念のため申立人の各主張について簡略に反論を加えることとする。

(一) 仮拘禁、拘禁に対する不服申立ての方法がないことが憲法三一条の趣旨に反するとする点について

前述したように、逃亡犯罪人引渡法による引渡手続はあくまでも行政手続であって、憲法三一条が当然には適用されないことは明らかである。

また、そもそも、逃亡犯罪人引渡手続は、外国で犯罪を行ったとの嫌疑のあることを前提とするものであって(本件の場合にも、逃亡犯罪人を仮拘禁をするに当たっては、アメリカ合衆国の裁判官が犯罪の嫌疑があるとして逮捕状を発布していることが前提となっている。)、犯罪の嫌疑のない者の身柄を拘束するものではないし、仮拘禁、拘禁は裁判所によるその適法性の審査を受けた上でなされるものである上、仮に違法な仮拘禁、拘禁がなされた場合には人身保護請求をすることができ、違法な拘束に対する救済のための措置が存するのである。したがって、単に準抗告や拘禁取消請求類似の制度が認められていないからといって逃亡犯罪人引渡法が憲法三一条の趣旨に反するものではない。

(二) 仮拘禁、拘禁について、その理由開示の手続がないことについて

憲法三四条は刑事事件における被疑者、被告人の権利を定めたものであるところ、逃亡犯罪人引渡法による仮拘禁、拘禁は行政手続であり、我が国における刑事手続のためにするものではないから憲法三四条は適用がなく(伊藤栄樹・法曹時報一六巻六号八〇三ページ。なお、佐藤幸治・注釈日本国憲法上巻七四六ページ参照)、したがって、理由開示の手続がないからといって憲法三四条違反とはならない。

(三) 保釈ないしこれに準ずる制度がないことについて

まず、逃亡犯罪人引渡法が行政手続であって、刑事手続に関する憲法の規定が当然に適用されるものでないことは、前同様である。

加えて、前述のとおり逃亡犯罪人の仮拘禁、拘禁は、元来、これが外国の刑事手続の執行から逃れた状態にあること、通常は外国から当該逃亡犯罪人が逃亡して来た(本件についていえば、アメリカ合衆国で罪を犯した疑いにより、同国の裁判官から逮捕状が発布されていながら、申立人が我が国に帰国しているため、その執行を免れている状態にあること)という逃亡のおそれが強度に推定される事態を前提としているもので、保釈制度になじまないものであって、明らかにこのようなおそれがないと認められるような例外的な場合には、東京高等検察庁検事長又は検察官の判断で身柄を拘束せず、あるいは拘禁の停止の処分をすることもでき、さらに、裁判所の判断を求める方法として、人身保護請求をすることも可能であるから、このような場合に保釈の制度がないことは不合理ではないのであって、保釈制度のないことが憲法三一条に違反しないことは明らかである。

(四) 審査手続で、申立人に証人尋問請求権がなく、また、伝聞証拠禁止の原則もないことについて

そもそも、伝聞証拠の禁止は、憲法の定めるところではない(最高裁昭和二三年七月一九日大法廷判決・刑集二巻八号九五二ページ)。

また、審査手続に刑事手続に関する憲法上の規定のすべてが当然に適用されるものでないことは前述のとおりであるところ、刑事手続上、証人尋問請求権や伝聞証拠禁止の原則が認められているのは、被告人の刑事責任の有無を決定するため、被告人に十分な防御の機会を与え、かつ、事実の厳格な認定を行う必要があるからであって、刑事責任の有無を決定するための手続でない審査請求手続においてこれが採用されないからといって不合理ではない。

このことは、我が国の刑事手続上、それ自体刑事責任の有無を決定する手続でない逮捕状発布手続や勾留手続につき、証人尋問請求権や伝聞証拠の禁止の原則が認められていないことと同様である。ちなみに、伝聞証拠の禁止は、憲法の定めるところではない。

(五) 我が国で裁判を受ける権利を奪うこととなるとする点について

憲法三二条は、刑事事件の場合には裁判所以外の機関によって裁判を受け、刑罰を科せられることはないということを意味するものであるところ、刑罰権は国家が行使するものであって、私人が、被告人として我が国の裁判所において裁判を受ける権利、すなわちその罪責の有無の判断をみずから我が国の裁判所に求めるという権利までも保障したものではないから、裁判権が競合する場合であっても、引渡しに関する条約において、締約国がその裁量により自国民を引き渡すことができる旨を定めても憲法三二条に抵触するものではなく、日本国とアメリカ合衆国の間の犯罪人引渡しに関する条約が憲法違反であるとの主張は理由がない。

(六) 人権B規約違反であるとする点について

申立人は、まず、逃亡犯罪人引渡法は、逮捕、抑留された者が裁判所から遅滞なく合法性の判断を求め、合法的でない場合に釈放される権利を定めている人権B規約九条四項に違反すると主張している。

しかしながら、仮拘禁、拘禁は、そもそも裁判所の許可状によって行われるものであって、あらかじめ裁判所による合法性の判断を経ているものである上、違法な仮拘禁、拘禁に対しては人身保護請求をなし得るし、東京高等裁判所が審査の請求に対し引き渡すことができない場合に該当する旨の決定等をした場合には逃亡犯罪人は釈放されることとなっており、いずれにせよ裁判所による合法性の判断は十分に保障されているのであるから、何ら人権B規約に抵触するものではない。

また、申立人は、同規約七条にも触れ、申立人がアメリカ合衆国に引き渡されると、同国で残虐、非人道的若しくは品位を傷つける取扱いを受ける旨主張しているが、このような取扱いを受けるおそれを認めさせる具体的な根拠は全くない上、そもそも同規約二条で、「この規約の締約国は、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、………この規約において認められる権利を尊重し確保することを約束する。」と規定しているように、同規約は締約国に対して、その領域内において各条に列挙された権利を保障することを義務付けたにとどまり、締約国が他国に対して条約上の基準を守るよう求めるための手段となることを目的としているものではないので、同条約が逃亡犯罪人引渡手続までも規制しているものでないことは明らかであるし、相応の被告人の権利保障の制度が設けられ、その保障が図られている国に対して引渡しを行うことが同条に反するものでないことも明らかである。

(七) 以上検討したように、逃亡犯罪人引渡法制が違憲である等の申立人の主張は理由がないことが明らかである。

4 本件引渡命令の相当性

(一) 申立人の主張

法務大臣が、東京高等裁判所の逃亡犯罪人を引き渡すことができる場合に該当する旨の決定を受けて行う当該逃亡犯罪人を引き渡すことの相当性の有無の判断は、請求国に対する外交的配慮、国内の法秩序維持の必要性、当該逃亡犯罪人の人権保護その他の要素を総合考慮してなされるべき高度に行政的、裁量的な判断であると考えられるので、その判断は、社会通念に照らして著しく妥当性を欠くことが明らかでない限り、裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法とされることはないと解すべきである。

ところで、申立人の主張を見ると、申立人の主張中、法務大臣による相当性の判断を違法とする根拠は、

<1> 申立人が日本国民であること

<2> 申立人は我が国で裁判を受けることを望んでいること

<3> 申立人がアメリカ合衆国に引き渡されると、収容される拘置所内で同房者から乱暴されるおそれがあり、そのような国に申立人を引き渡すのは妥当でないこと

<4> 申立人がアメリカ合衆国で裁判を受けると、陪審により、人種的偏見に基づく誤った判断がなされるおそれが大きく、また、我が国とは異なった裁判制度のもとで十分な防御を尽くせないおそれが大きいこと

の四点である。しかしながら、以下に述べるとおり、この四点の主張を根拠に申立人をアメリカ合衆国に引き渡すことを相当と認めた法務大臣の判断に裁量権の逸脱があったとすることは、到底不可能である。

(二) 法務大臣の判断の相当性

申立人が日本国民であり、我が国で裁判を受けたいとの希望を持っているとの事情は認められるが、このことから直ちに本件について我が国で裁判をすべきであるということにはならない。

また、申立人はアメリカ合衆国に引き渡されると、同国の拘置所で同房者から乱暴を受けるなど残虐な取扱いを受けるおそれがあり、また、陪審裁判で人種的偏見等により誤った判断がなされるおそれがあると主張しているが、そのような事態の発生の蓋然性があることをうかがわせるような客観的、具体的事情は疎明すらされていないのであって、申立人の主張は前提を欠くものといわざるを得ない。

これに対し、本件の犯行現場はアメリカ合衆国のハワイ州であって、その現存する証拠はすべて同国にあり、我が国に証拠が存する可能性はほとんどなく、また、犯罪地であるアメリカ合衆国の秩序維持の観点から同国において本件について裁判を行う高度の必要性も認められる。

以上のような事情及び申立人の経歴を考慮すると、むしろ本件は、逃亡犯罪人をアメリカ合衆国に引き渡すことが相当な事案であるというべきであって、諸々の要素を総合考慮してなされるべき高度に行政的、裁量的な性質を有する判断である法務大臣の本件引渡命令が社会通念上著しく妥当性を欠き、その裁量権を著しく逸脱した違法なものであるとは到底いえないことは明らかである。

4 結論

以上のとおり、法務大臣による本件引渡命令には、なんら裁量権を濫用した違法がないことは明らかであるから、本件執行停止申立ては、本案について理由がないとみえるときに該当し、却下されるべきである。

以上

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